酒米の田んぼにも仕込み水! 井上酒造さんが語る、故郷日田への愛と酒造り
1804年に創業した、200年を超える老舗である井上酒造。水郷としても有名な大分県日田市で、情熱をもって酒を醸し続けています。酒米から自社で生産することにこだわっており、酒造りだけでなく米づくりも行う、農家でもあるユニークな酒蔵です。
水郷・日田ならではの酒造りについて、社長さんの井上百合(いのうえ ゆり)さんに詳しくお話をうかがいました。
トップ画像は酒造りの様子。(出典:井上酒造公式サイト)
- 水と暮らす編集部
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酒づくりで使うお米も自社でつくっているということですが、そういったところは多いのでしょうか。
- 井上さん
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お蔵でお米を作っているというところも聞きますけど、本当に蔵人たちが農家に頼らず作っているというケースはめずらしいと思います。
- 水と暮らす編集部
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農家に頼らず、自分たちで作っているというのはすごいですよね。
- 井上さん
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もっとも珍しいのは「水」の使い方です。じつは田んぼの中に流している水も、酒造りに使っている仕込み水を流しているんです。
- 水と暮らす編集部
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本当ですか。なんとぜいたくな……。
- 井上さん
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田んぼに仕込み水を流せるとわかったときの喜びは忘れられません。ただただ、蔵の立地に感謝です。もし自分がお米だったら「うれしい」と思います。生まれ育った水と同じ水でお酒になるというのは、懐かしい気持ちがして元気が出るはず。
- 水と暮らす編集部
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たしかに! そうかもしれませんね。米たちはずっと一貫して仕込み水で育ち、出荷されていくわけなんですね。
- 井上さん
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だから、私たちはお米をとても大切にしています。一粒落ちてもみんなで拾うくらい、かわいくて、愛しくて。そんな気持ちで酒を育てています。
- 水と暮らす編集部
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「育つ」という言葉が自然に出てくるほど、愛情を注いでいらっしゃるんですね。
- 井上さん
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育ち上がり、お嫁に行く時にはもう、涙が出ます。最初に作り上げたときには大泣きして、喉をからしたこともあります。「売りたくない」と口走って、営業さんに怒られたことがありました。
- 水と暮らす編集部
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それほどまでに感情移入をして、蔵人のみなさんは酒造りを行っているということですね。
「角の井」に込められた水への想い
- 水と暮らす編集部
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井上酒造さんを代表する銘柄は「角の井」という名前がついていますが、この「井」は井戸という意味ですよね。
- 井上さん
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そうです。四角い井戸から仕込み水をくみ上げていたので、それで「角の井」という名前がつきました。
- 水と暮らす編集部
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その井戸は今もあるんですか?
- 井上さん
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はい、現存します。今でも少しずつ水は湧き出ていますし、この間も蔵人たちと中に入って掃除をしました。水も、井戸も大切に思っています。
- 水と暮らす編集部
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活用されている仕込み水は、どのような水だと考えていらっしゃいますか。
- 井上さん
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日田は「水郷」と呼ばれるように、水の郷百選にも選ばれています。地下には硬い岩盤層があり、その岩盤層によってろ過されたミネラル分を多く含んだ水が流れ込んできています。
- 水と暮らす編集部
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やはりお酒は水によって、出来は大きく変わるのでしょうか。
- 井上さん
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そうですね。水質もそうですが、汲水歩合(くみみずぶあい)によっても大きく変わると思います。汲水歩合とは、醪(もろみ)1仕込の総米重量に対する汲水の容量の割合のことです。この汲水歩合を決めるのは杜氏なんですが、この割合によってお酒がまったく別物になります。
- 水と暮らす編集部
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そんなに変わってしまうんですね。
- 井上さん
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ちなみに弊社は汲水歩合が少ないのが特徴です。120%しかありません!
- 水と暮らす編集部
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汲水歩合が少ないと、どのようなお酒になるのでしょうか。
- 井上さん
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力強い酒になります。全国的に見ても、九州は汲水歩合が少ない傾向にあります。九州ではゆっくり飲んだり、ロックで飲む焼酎文化があったり、味噌の味も甘いですよね。酒もそのような、濃厚な酒質なんです。今私たちが目指しているのは、昔ながらの九州のお酒です。
- 水と暮らす編集部
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はやりのお酒ではないということですね。
- 井上さん
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地場の水を使い、どれぐらいの汲水歩合にするかによって酒質を決めていくということは、伝統を守ることにつながると思っています。
地元・日田の杜氏だけで味を守ってきた
- 水と暮らす編集部
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もう200年以上、伝統を守っているわけですよね。培ってきた技術を守るために大切にされていることはありますか。
- 井上さん
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弊社は杜氏を外から呼んできたことがなくて、ずっと地域の人が技術をつないできています。それも非常にめずらしいことです。杜氏さんを杜氏組合から呼ぶということも多いのですが、そういったことがいっさいありません。
- 水と暮らす編集部
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地域の人たちで、地域の味を守ってきたということなんですね。
- 井上さん
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心から故郷を愛し、誠実に酒を醸すことを大切にしています。この命をかけて、故郷の伝統文化を継承していくというつもりで酒を造っています。
- 水と暮らす編集部
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酒造りの想いは、故郷への愛情に直結するものなんですね。
- 井上さん
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三隈川に沈む夕日を見て、泣きそうになることがあります。「なんて美しいんだろう」って。それに、水墨画のような雨上がりの山々の杉の木を見て「なんてきれいなんだろう」と思います。そんな故郷の美しさに気づいたのは、50歳手前になってからでした。
- 水と暮らす編集部
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井上さんはずっと日田で生まれ育っているのでしょうか。
- 井上さん
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いえ、私は高校を卒業して、一度日田を出ているんです。学生のときは友達が一番大切で、故郷の美しさになんて気づきませんでした。日田に帰ってきてから、ですね。
- 水と暮らす編集部
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井上さんが日田に帰ってこられたのは、何年ほど前のお話なんでしょうか。
- 井上さん
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2014年なので、7年ですね。けっこう最近なんですよ。ただ私は長女なので、ゆくゆくは後を継ぐという意識がありました。実際に結婚するときも「後々は家業を継ぐ」という約束をしたうえで結婚をしました。
- 水と暮らす編集部
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でも、日田に戻ってきたのは7年前……ということでしたよね。それまでは、どちらにいらっしゃったんですか。
- 井上さん
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夫の栄転で東京へ行くことになったんです。夫は「行きたい」と言い、父も「無理に田舎へ行かせて、後悔させるのはよくないことだ」と許してくれたんです。「行きたいなら、3年間くらいはついて行ってあげなさい」と言われたんですが、そのまま20年たってしまって。
- 水と暮らす編集部
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なるほど……。そうだったんですね。
「ママはママの人生を歩んでいい」
- 井上さん
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20年もたってしまうと、夫に「あの時の約束はどうしたの」とはなかなか言い出せず。そんな中、20歳になった一人娘から「ママに話がある」と呼び出されまして。
- 水と暮らす編集部
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おおお、気になります。
- 井上さん
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「ママはママの人生を歩んでいいと思う。今、日田に帰らなかったら、きっと一生後悔すると思うよ」と言ってくれたんです。
- 水と暮らす編集部
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はぁー……。そうでしたか。娘さんは井上さんの想いを見ていたんですね。
- 井上さん
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いやいや、私は彼女に日田へ行きたい想いを吐露したことはないんですよ。心配掛けたくないから。でも、子どもは親を見ているんですね。
- 水と暮らす編集部
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20歳になった娘さんからの、初めてのアドバイスだったんですね。
- 井上さん
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それで、私も夫に「あのときの約束はどうなったの」と尋ねてみたんですよ。するとすぐに「ごめん」と。「実はもう帰る気がなくなってるんだ」と言われたんです。
- 水と暮らす編集部
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約束を守る気がないと言われてしまったわけですね。
- 井上さん
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「今、責任ある立場にいて、部下もたくさんいるし、職務を全うしたい」と。私が想像していた答えと違っていて、悲しかったです。「私と会社のどちらが大切なのか」と尋ねると、「それは比べられない」と言っていましたね。経営者となった今になっては「あれは愚問だった」と思えるんですけどね。
- 水と暮らす編集部
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とはいえ、当時はダメージがあったわけですよね。
- 井上さん
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今は意図がわかりますけど、当時は「あ、もう好かれていなかったんだ」と思って。娘の言葉の後押しもあり「私は故郷に帰ろう」と思いました。そして、結局夫とは離婚して帰ってきたんです。
- 水と暮らす編集部
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離婚! そうなんですか。いや、すごいストーリーですね。
- 井上さん
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仲が悪いわけではないんですよ。今でも話はしますし、家族で会います。でも私が生まれた意味は、井上酒造の伝統をつなぐことだと思っているんです。
- 水と暮らす編集部
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なるほど。しかし、帰ってきた当時は酒造りのことは知らない状態なんですよね。すごいご決断だと思います。
- 井上さん
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専業主婦でしたので、酒造りはまったく知りませんでした。そこで、日田からまた東京に戻り、酒類総合研究所という国の機関に入って、酒造りを学んだんです。
- 水と暮らす編集部
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いやあ、すごい! 大挑戦ですね。かっこいい。
- 井上さん
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井上酒造は米作りからやりますから、農業も学ばなければならない。帰ってきてから、やることはいっぱいありましたね。でも、やりがいがあります。これからも故郷の伝統をつないでいくためにがんばります。
- 水と暮らす編集部
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本日は貴重なお話をありがとうございました。
井上酒造
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大分県日田市大字大肥2220-1